ある風景を見て

銚子山古墳に上って行く時、
小屋の屋根の上に木が立っているところから
ふと視線を90度左に向けてそこに広がる風景を見ると、
ここでまたはっと思い当った。



そんな遠い過去じゃなくて、
5年以内だろうか、
夢の中で見た風景の一コマとピントが合うことに気づいたのがこの風景。



なにもこれに限ったことじゃない。
日常のなかや、どこか遠い見知らぬ土地ではじめて見る風景を目にして、
そう思うことが時々ある。
自分には、かすかな予知能力があるんだろうか。
単なる思い込みかもしれない。
でもじっくり思い返してみても、
確かにいつか夢の中で見た一コマが浮かびあがって来る。





そして、
その同じ空間のなか、
銚子山古墳の上り口から少し離れたところに、
玉手箱を開けて皺だらけになった浦島太郎が自分の頬の皺をちぎって投げつけたために、
幹が凸凹にになってしまったという伝説の榎の木が立っていた。





近づいてみると、
確かに凸凹だった。
かなりの老木なのか、支え木がなされていた。



でもどうして浦島太郎の伝説が生まれたのだろう。
その背景には、不老不死を願う中国の神仙思想の影響があるのだともいう。

岡古墳

離湖のほとりにこのような古墳があります。
この石組は横穴式石室と呼ばれます。
看板にもありますように、もともとはここから200メートル北西にあったのですが、
昭和42年にこの場所に移築したということです。


また横穴式石室というのは古墳埋葬施設の一つで、竪穴式石室の対照語です。
四世紀末に朝鮮半島から九州北部に伝えられ、古墳中期には近畿・東海地方にまで
広がったが、竪穴式石室にかわって全国的に普及するのは後期からです。



離湖

ここは網野町の東の外れにある離湖(はなれこ)。
琴引浜の南側になる。
この時はちょうど桜が満開の時だった。



離湖は面積389㎡、最大水深7mの京都府下最大の淡水湖です。
かつては日本海とつながっていた湾の一部でしたが、その後、八丁浜(はっちょうはま)「網野町」の砂洲や
砂丘の成長により、日本海と隔絶された潟湖になったと考えられています。
この湖の周辺には縄文時代早期の遺物が発見されており、
西岸には古墳群も分布しています。



ここはこの地域のお花見の名所みたいですね。



提灯がずらっと付けられていました。
夜桜を見てもきれいなんでしょうね。




桜が咲いているのは自分の目から見てもだいたい二週間ぐらいのように思います。
今はもう散り始めていますが…。


海の近くに咲く桜

磯を通り抜けて海辺の道を進んで行くと、
夕日ヶ浦にたどり着く。
その道中はずっと沿道に桜が咲いていて、
春の陽に照らされたその光景は、
まるで竜宮城へつづく道のようにも思えた。


途中、ある浜辺に下りる道のわきに咲く二本の桜が印象的だったから写してみた。
背景の海の青と桜の薄桃色がとてもよく映えていい。



その道を少し下ると誰もいない美しい入り江があった。
さらに少し下るとある浜辺があった。
なんという浜辺なのかは秘密にしておく。
いつかまた機会があれば…。


丹後半島、磯

この日、午後から晴れてくれた。
待ちわびた。
やっぱり晴れた空と青い海が好き。




ここは網野町磯。
網野の港から海沿いの道を走って行くと、
この集落に行きつく。
初めて観る光景っていつでも感動は大きい。
未知の世界の扉が開かれた瞬間。
向こうにうっすらと見える岬の先端は間人の城島。



この磯には、源義経の愛人の“静御前”を祀る静神社がある。
宮津府志』によると、この地は静御前とその母磯禅尼の出生地といわれている。
静は六才のとき、母に連れられて京都に上り、祇園白拍子となったが、十八才のとき、
住吉の舞台で源義経に見染められた。そして建久元年(一一九〇)、義経が奥州平泉で討死したので、
止むなく二十八才の静はひそかに郷里の磯に帰り、余生を終えたと伝えられている…。
義経…”“静神社”などと書かれたあざやかな幟が風にあおられてはためいていたけど、
自分は平家方だから参拝せずに横目でちらっと見ただけでそこを通り過ぎた。
静の出生地については諸説あるようだ。


丹後半島、産土山古墳

自宅から間人までは、2時間もあれば来れてしまう。2時間かからないかもしれない。
今までただ丹後という土地の景観だけに見惚れてたけど、
景観だけでなく、自然、地質、歴史、伝説と、総合的に見てみると実に興味が湧いてくる。


きのうは天気予報では午後から晴れると予報が出ていたが、
ちょうどこれがお昼ぐらいで、ほんとに晴れるのか少し心配したが、
この後予報通り晴れることになる。


丹後町竹野川河口の古墳密集地帯。
神明山古墳、大成古墳群とともにもうひとつ気になっていた古墳を探し当てることが出来た。
産土山(うぶすなやま)古墳は神明山古墳に近い竹野の集落の南西の丘陵上に築造された
古墳時代中期の首長墳です。
この古墳は直径54メートルの円墳で、
葺石、円筒埴輪を有しています。



国道178号線のわきにあるこんもりした小さな丘なんです。
となりには学校なんでしょうか…、が、あります。
ここから登って。




墳頂部には少々荒れ気味の小さな社がありました。



そこからふり返って見たところです。
目の前の丘がこの前紹介した大成古墳群のある大成台地。
右に見える集落は竹野。
真下に走る道が国道178号線。



しかしこの後、画面の左のほうで見えないですが、大成台地の山すそに畑があって、
“キーキー”動物の叫び声がするからもしやと思って目を向けるとサル。。
今まで自分の経験では伊根湾周辺から経ヶ岬周辺の間しか目撃することはなかったのに、
ここで見るのは初めて。
ここから間人までは車で5分もかからない。
いったい丹後半島のサルはどのくらいの範囲が活動域なのか、
そしてどのくらいの群れがいるのか。
もともと自然が好きだったから、丹後半島サル研究員にでもなろうか…。

仕事の帰りに桜を眺めて

今日は早く仕事をあがれたから、
海が見たくて岡見公園に上がってみた。
気分すっきり、仕事なんてくそくらえだ。
歳をとってもいいから早く引退したい。


突き出している防波堤には釣り人がたくさんいた。
自分が立っている場所にもその釣り人の車がずらりと停められてて。



途中、矢田川の桜が目についたから撮って見た。
この瞬間を撮っておきたいから。



プロのカメラマンみたいにすべてを熟知しているわけじゃないけど、
いきあたりばったりで、
自分であっと思った瞬間を撮ってる。



どうしようかな、ちゃんとしたカメラを買おうかな…。
もっと時間かけてちゃんと撮って見ようかな…。



春の一瞬を彩る桜は、やっぱりきれいだ。