間人

国道178号線を左に折れて、
間人の集落に入って行くところです。
集落とその端に城島が見えて来ました。
爽快に晴れていればもっときれいなんでしょうけど、
この日も曇っていてくやしいです。
でもこの丹後という土地はどんな天候でもよく似合う土地柄なのかもしれません。
少しそんな気がします。



少し先に進んだところからの眺めです。
こう見ると海に落ちてしまいそうに見えますが、
海面からの高さは10メートルぐらいはあるようです。
冬は北西の季節風をまともに受けるでしょう。
でも朝窓を開けて目の前に海が広がっているっていいですね。



この土地に来ると、
なぜか遠い過去を求めてしまいます。
そういう気分になります。



間人ではこの小さな港が一番古く、
江戸時代には北前船の寄港地だったようです。




城島です。
戦国時代の天正年間、荒川武蔵守がこの島に居館を構えたといいます。



間人の集落は海岸の斜面に沿ってへばりつくようにして密集しています。
その真ん中を一本道路が貫いて通っています。
なんかこう家々が迫って来るようです。




背後の山の斜面を少し上ったところからの眺めです。
こうして見ると、かなりの世帯数がありそうですね。



この間人(たいざ)という地名ですが、
聖徳太子の聖母・間人(はしうど)皇后が蘇我氏物部氏との争乱を避けて丹後の当地に身を寄せ、
のちに当地を去るにあたって自らの名をこの地に贈ったものの、住民は「はしうど」と呼び捨てに
することを畏れ多く思い、皇后が退座(たいざ)したのに因み、間人を(たいざ)と読み替えたとの伝承が残っているようです。




しかし、間人皇后が丹後に避難したとする記述は記紀にはなく、
名前の由来には他にも諸説あるようです。