居組の港

自分の中では新温泉町居組とするよりは、旧浜坂町居組としたほうが範囲がせまく、位置がわかりやすい。
この居組は旧浜坂町のいちばん西に位置し、鳥取県境に接する。
現在の居組港は昭和二十六年から二十八年までの三カ年計画で着工された。
むかし地元では網掛泊地と呼ばれていたらしい。江戸時代には北前船の避難港として大いに利用されていた。
ふたつの小山の間の狭い海峡がその避難港であったらしい。


ここがその北前船の避難港であったところ。幅は40メートルほど。
文明四年(一四七二)当時から網懸津と呼ばれていた(尼子氏の伝えた佐々木文書)。
冬の日本海は荒れて、物資を運ぶには苦難であったろう。この地形なら天然の良港でここで何日も停泊することもできたと思われる。
秀吉の鳥取城攻めの時も、因幡中の米を買い占め、ここから米を積み上げ弟の秀長に渡していたという。
こんなことを語り出したら歴史ブログになってしまう。


でもこれは、どこにも属さない私的で気まぐれなブログである。
ある時はその日思ったことや出来事を、またある時は空想にふけったり、歴史を自分の言葉で語ったり。
だからあるカテゴリーに拘束されず、自由でいい。思うままに自由に…。


少し視点を左の方に向けてみると、自分では、フランスのモン・サン・ミシェルをちょっと思い浮かべてしまう。
モン・サン・ミシェルは干満の激しいところで、海の修道院と呼ばれている。ちょっとそんなふうに思えて。
憧れのヨーロッパ、暇とお金さえあれば明日にでも行くのに…。
残念ながらその夢は、定年退職後になる可能性もある。くやしい…。


ここで友人は夏場、よくイカ釣りをするという…。大物が釣れた時はいつもその写メを送って来る。
釣りは、子供の頃一時夢中になってたこともあったけど、いったん手を放してしまうと今ではもうめんどくさくてやる気にならない。


でも夢はある。スズキの80cm以上を釣り上げること。スズキという魚は川と海の境目を回遊している魚。最大では1メートルぐらいになる。一時期この周辺の川という川に竿とルアーを持って通い続けたことがある。でも結局80cm以上のものは釣り上げられなかった。せいぜい20cmぐらいだったかな。


モン・サン・ミシェル、伝説によればアヴランシュの司教だったオベールの夢に、大天使ミカエルが現れたのは708年。ミカエルは「かの岩山に聖堂を建てよ」と命じたという。